富山が誇るきときと漁師&料理人 バイガイ

富山湾には、大きさが15cm前後にもなるオオエッチュウバイ、エゾボラモドキ、12cm前後のカガバイ、そしてそれより小さめのツバイなど、少なくとも4種類はいると言われています。刺身にするとシコシコとした歯ごたえが楽しめると共に、小ぶりのものは煮付けや酒蒸しもOK。またカガバイは「倍々」の語呂合わせから縁起物として、おめでたい宴席や折り詰めなどにも使われています。

漁師 濱屋大祐

漁は、まさに自然との闘い。それを感じた1日。

「海の上で、船が動かなくなりました」黒部漁港に着くやいなや、携帯にそんな電話が入った。この日の取材相手、濱屋さんからだった。
「エンジンが壊れ、スクリューが止まってしまったんです。他の船を呼び、海上を牽引してもらわないと港に戻れません。取材の約束の時刻には到底間に合わないんですが、それまで待ってもらえますか?」濱屋さんは、そう言った。もちろん待つことにした。濱屋さんを含め、誰が悪いわけでもない。
濱屋さんの乗った恵比須丸が戻ってきたのは、21時過ぎ。約束の時間から数時間経っての帰港だった。牽引役の栄進丸に引かれるその姿は、さながら車両のレッカー移動を想起させた。船はゆっくりと動いていたが、船上では、漁師たちが着岸のため、声を掛け合いながらせわしなく動いていた。着岸するや、早速、船のトラブルの検証があり、その後漁師たちによる荷揚げ作業が始まった。バイガイはしっかりと獲れていた。失った時間を取り戻そうとするかのように、一つ一つの行程がスピーディに進行していった。ちなみに恵比須丸は、漁がほぼ完了してから動かなくなったそうだ。悲鳴を上げていたエンジンは、自身の役割を終えてから動きを止めたということか。そう思うと、何だか恵比須丸が愛おしくなってきた。

動じない。トラブルにも冷静に対処する、濱屋大祐という漁師

荷揚げ作業がある程度終わり、ようやく濱屋さんと話をすることができた。出港したのが一昨日の夜9時だから、ほぼ丸二日かかっての帰港。しかもこんなトラブルがあったのだから、さぞ憔悴しているだろうと思いきや、意外にすっきりと、落ち着いた表情だった。
「私は漁師になってから18年たちますが、エンジンが止まったのは2回目です。まあ、いろんなことがありますね、海の上では」動じていない。漁は不測の事態との闘いだ。一つ一つのトラブルに右往左往するようでは、周りも不安になってしまうということか。そんな濱屋さんにバイガイ漁のことを尋ねてみる。淡々とした答えが返ってきた中で、かごなわ漁のかごを沈めたり引き上げたりする点については、目の色が変わったように感じた。
「バイガイのかごなわ漁のかごは水深約800メートルの深海に沈めるわけですが、単に800メートルの所ならそれでOKというわけではないんです。潮の状況や天候、風、気温、季節など様々なことを考え、ベストなタイミングにベストな場所で、ベストな深さに沈めることが大事。同じことはかごを引き上げる時にも言えます。そうじゃなきゃ、かごが逆さにひっくり返って漁が台無しになってしまうこともあります。だから恵比須丸ではすべて、経験豊富でいつも適切に判断してくれる親方の指示に従っています」親方とは濱屋大祐さんのお父さんのことだ。いつかは越えなければならない父親へのリスペクト。バイガイ漁をどこまでも追求する親子鷹がいた。

荷揚げの後は、セリに向けての選別作業。
そこには濱屋さんの、お母さんの姿も。

濱屋さんにこの仕事への誇りを尋ねてみると「第一次産業であることです」という答えが返ってきた。漁業とは言わず第一次産業と言ったところに、自然を相手に仕事をしているという自負と強さを感じた。
「富山湾のバイガイは鮮度がいいです。煮付けや刺身はもちろん、バター炒めなんかもおいしいですよ」濱屋さんはそう言って微笑んだ。
「すいません、もうそろそろ大丈夫ですか?明日の朝のセリまでに準備を間に合わせないといけないので」そう言うと、濱屋さんは作業を続ける仲間のもとへ戻っていった。獲ってきたバイガイの選別や発泡スチロールへの箱詰めなど、やることはまだまだあるという。濱屋さんのお母さんの姿もそこにはあった。船のトラブルがあったにもかかわらず無事に戻ってきてくれたことに安堵している様子だったが、2人が話したのはまさに束の間。静けさの中、濱屋さんとお母さんは一つ一つ丁寧にバイガイを並べ続けていった。

料理人 濱多雄太

富山の魚を使い、富山でしかできない料理を

「富山の魚は、主役級から珍魚、小魚、脇役までたくさんいますが、すべてレベルが高く、確実においしい。日本で一番美味しい海の幸に出会えることが、富山の魅力だと思います」そう話す濱多さんは、地方創作料理「hamadaya LABO」、和食店「浜多屋魚津駅前店」とを営むオーナーシェフだ。
老舗料亭「浜多屋本店」の当主の息子として生まれ、幼い頃から板前料理を食べて育った彼は、小学校の卒業文集に「料理人になる」と書くほど、ごく自然な流れで今の道を志した。専門学校卒業後は日本料理店で修業を積み、地元に戻って実家に入店。研鑽を積み独立した後は、自分の料理スタイルに迷いが生じた時期もあったそうだが、尊敬する「レヴォ」の谷口シェフと出会ったことで「富山で作る意味」を知り、地方でしかできない料理を実現できるようになっていったという。

バイガイが棲む海の物語を、ひと皿に

バイガイは、通年水揚げされ、種類も豊富。富山の郷土料理を表現するために最適な食材だ。濱多さんが企画に携わった「魚津バイ飯」も、新たな郷土飯として地元に浸透した感がある。
そんな彼が新たに考案した「海、共存」は、「バイガイの煮付け」からインスピレーションを得た和洋折衷料理だ。生バイ、煮バイ、炙りバイの3種類を使い、ラフランスや銀杏、ビーツ、魚津の山や川辺に生息するハーブを添えた逸品であり、青い海に花が咲いているかのように美しい。プリプリ、コリコリとした多彩な食感に加え、酸味や甘味、苦味などの複雑な味わいが味覚を刺激する。
「バイガイは、海があり、餌があり、魚がいるから、存在しているんですよね」との言葉どおり、カリフラワーソースに未利用魚と市場に卸せない野菜のルウを加えるなど、海の生態系を表現していることも特徴だ。さらに爪楊枝代わりにカツオの尻尾を用いるなど、和食の伝統も生かしている。

休日に感性を磨き、料理に反映

普段は、朝7時前から仕込みを始め、2〜3時間かけて仕入れを行う。「生産者に近いことが、富山で店を構える意味のひとつだと思うんです」と、自ら生産者に連絡して直接会うことを大切にしている。休日には、きれいな景色を見に行ったり、異業種の専門誌を見たりと、一見料理と離れているように感じるが、その時間で磨かれた感性はそのまま料理に反映されている。だから、「海、共存」のような豊かな発想が宿る逸品が生まれるのだろう。
「富山湾には隠れたスターが多いので、生産者とともに新たな価値を見出して、若い世代にも富山の魚の魅力を伝えていきたいです」。濱多さんの次への挑戦が楽しみで仕方ない。